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名古屋高等裁判所 昭和52年(ネ)299号 判決 1978年9月12日

控訴人

株式会社中京相互銀行

右代表者

山田市三郎

右訴訟代理人

鈴木匡

外四名

被控訴人

三光建物株式会社

右代表者

土田志づ

右訴訟代理人

竹内清

前田幸男

主文

原判決を取消す。

被控訴人は控訴人に対し金三六〇万円及びこれに対する昭和四八年五月二日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

この判決は第二項にかぎり仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一<証拠>によれば、控訴人が、本店を大阪市南区北炭屋町五九番地に置き、代表取締役を中村仲太郎とし、商号を三光通商株式会社と称する会社に対し被控訴人主張(請求原因一の2)のとおり合計金三六〇万円を貸付けたこと、それは控訴人と被控訴人との間の昭和三九年三月二四日付相互銀行取引契約に基づく手形による貸付行為としてなされたものであること(以下これを「本件手形取引」という。)が認められ、右認定に反する証拠はない。

二控訴人は、本件手形取引は被控訴人との間になされたものであると主張し、被控訴人の旧商号が三光通商株式会社で、代表者が中村仲太郎であつたこと(以下これを「旧三光通商」という。)、昭和四一年八月一九日被控訴人の商号が三光建物株式会社に変更され同月三一日登記されたこと、一方同月一〇日本店を東京都渋谷区北谷町一三番地に置く三光通商株式会社(以下これを「新三光通商」という。)が設立され、同年九月一日その本店が大阪市南区炭屋町五九番地(被控訴人の本店所在地に同じ)に移転され、同月一二日登記されたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、本件手形取引がなされた当時中村仲太郎は新三光通商の代表者ではあつたが、被控訴人の代表者ではなかつたこと、被控訴人の商号は前記の三光建物株式会社で、代表者は土田志づであつたこと、被控訴人と新三光通商とはその決算会計処理は別個になされていたことが認められ右認定に反する証拠はない。

以上の事実に照らすと、被控訴人がことさら旧商号及び旧代表者の名義を使つてしたなどの特段の事情の認められないかぎりは、本件手形取引は、新三光通商との間になされたものと認めるほかないところ、本件全証拠によつても右特段の事情を認めるには足りないから控訴人の右主張は採用しえない。

控訴人は、新三光通商と旧三光通商とを同一の法人格と信じて取引をしたとか、新三光通商の設立は無効であることなどを理由に、本件手形取引の相手方は被控訴人であるとも主張するが、仮に右のような事実が認められたからといつて直ちに本件手形取引をなしたものが被控訴人と定められるべきものではないから、控訴人のこの点の主張もまた採用しえない。

三そこで被控訴人の名板貸による責任の有無につき検討する。

<証拠>によれば次のとおりの事実が認められる。

被控訴人は、土田精三、石河漫、中村仲太郎の三名が代表者取締役となつて(但し石河は間もなく退任)、本店を大阪市に置き、一般雑貨その他の貿易と販売業を営業目的として昭和二八年三月一三日に設立されたが、昭和三五年三月頃に土田精三が資金を出してビルを建築しこれを賃貸することとし、貸室業をもその営業目的に加え、以来大別して貿易業部門と貸室業部門とを有することとなつた。そして貿易業部門は右中村仲太郎が、貸室業部門は右土田精三が経営に当ることとなつたが、土田精三は東京に居住し、別に会社を経営していたこともあつて、被控訴人(旧三光通商)全体の経営は右中村だけを代表取締役として専ら同人に任せられていたのが実情であつた。その後貿易業部門の営業成績が悪化し、貸室業部門の利益でこれを補填してもなお旧三光通商は多額の累積赤字を出し会社の存立そのものすら危くなつたが、中村がこれを隠していたため、土田は中村に不信を懐くに至つた。そこで右土田は別会社を新設し、右両部門を分離独立させ、少なくとも貸室業による収益だけでも確保しようと考え、その旨中村に伝えて同人の了解を得て(ただし中村はその具体的方策については全て土田に任せてしまつたため、その後土田によつてなされた新会社と旧会社の各営業部門との関係や商号の変更などについては土田とは異なつた認識をもつていた。)、代表取締役を土田精三、中村仲太郎の二名とし、一般雑貨その他の貿易ならびに販売を営業目的とする新三光通商を設立し、被控訴人の商号を現商号に変更して、新三光通商の本店を旧三光通商と同一の場所へ移転するなどの措置を講じた。土田が右のような煩雑な手続を踏んだのは法令上の制約もさることながら、その動機においては中村との三〇年来の交友関係に鑑み、中村が右のように収益のあつた貸室業部門から切離された新三光通商を経営するについてできるかぎりの便宜を図ろうとしたためであつた。したがつて、右新三光通商の分離独立によつて新たに本店事務所などが設けられたことはなく、事務所の形態、看板などの表示、従業員、銀行との交渉に当る経理担当者についても従前どおり旧三光通商の場合と何らの変化がなかつたばかりか、新三光通商の記名用ゴム印・印章等についてすら旧三光通商のそれがそのまま使用されていたうえ、中村仲太郎は新三光通商設立後もなお被控訴人の代表取締役の地位に止まり、同人が被控訴人の代表取締役を辞任して土田精三がこれに代つたのは昭和四一年一〇月一七日(登記は同年一一月七日)であり、右中村が被控訴人の取締役を退任したのは昭和四三年二月二五日であつた。以上のような事態は土田が十分承知のうえでしたことであり、中村においても異論があるはずもないことであつた。一方控訴人は、昭和三九年三月二四日旧三光通商との間に相互銀行取引契約を締結し(この事実は当事者間に争いがない。)、同社から取引用印鑑届を徴していたところ、右取引契約の約定書によれば、商号・代表者印等に変更があつた場合、取引の相手方は直ちにこれを所定の届出用紙によつて控訴人に届出るべきこと、手形・証書等に押捺された印影が届出印鑑と同一と認められたときは、手形、証書等に盗用偽造などの事故があつてもその責任は相手方が負担すべき旨が定められていた。しかし、被控訴人が控訴人に商号、印鑑の変更を届出あるいは告知したことはなかつた。そして旧三光通商と新三光通商との関係が前記のとおり極めて紛わしく、しかも新三光通商によつて振出、裏書された手形等に押捺された新三光通商の記名印の印影が旧三光通商のそれと全く同一であつたため、控訴人は本件手形取引についても被控訴人との右相互銀行取引契約に基づき、被控訴人との間になされたものと思つていた。以上のとおり認められ右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の事実によれば、被控訴人は新三光通商に対し、自己の旧商号を使用して営業をなすことを許諾していたものであり、控訴人は本件手形取引をなす際、被控訴人を営業主体と誤認していたものと認められる。<証拠>中右認定に反する部分は前掲証拠に照らして採用し難く他に右認定を左右するに足りる証拠はない。そして、かように自己の旧商号を使用して営業をなすことを許諾したものについても、そのため第三者が営業主体を誤認した場合は特段の事情のないかぎり商法二三条の規定にもとづく責任を免れ得ないと解するのが相当である。

四そこですすんで控訴人の右誤認をするについての重大な過失の有無について検討する。

<証拠>によれば、新三光通商は営業資金に窮した結果、昭和四二年七月頃同社の経理担当取締役である田代忠五郎をとおして控訴人大阪支店に対し金二、〇〇〇万円の融資の申込をし、所定の申込受付票に更新用信用調書、不動産担保明細書、所有不動産調、資金繰表等を添えてこれを同支店貸付係員に提出したところ、新三光通商の設立に不知であつた同支店では右融資の申込人は旧三光通商であるとの認識の下にこれを検討したが、右融資申込人にこれといつた不動産がないことから右融資を拒絶し、右添付書類を田代取締役に返戻したこと、そこで、被控訴人の経理をも兼務していた右田代は、被控訴人所有の不動産(建物)を担保に供して融資を受けようと考え、かねてより前記中村仲太郎のために協力を惜しまない意向を有し、かつ被控訴人の実際の経営者であつた土田精三の了解を得て、同支店に対し三光建物株式会社名義で再度融資の申込をし、前記のとおり返戻された借入申込受付票等の添付書類のうち再度利用できるものをそのまま流用すべく、右書類の申込人欄にすでに「三光通商株式会社」と記載されていた部分をカツコでくくり、その上部にゴム印で「三光建物株式会社」と記入したうえ、所有名義人は未だ旧三光通商のまま右建物の登記簿謄本、商号が三光通商株式会社から三光建物株式会社に変更された旨の記載のある被控訴人の商業登記簿謄本の写、当時の被控訴人の貸借対照表、損益計算書、収支予測表等を添えて融資申込の手続をしたこと、これも結局融資を受けるまでには至らなかつたが、右一連の融資の申込を受付け、これを検討する過程において、控訴人は少なくとも被控訴人の商号が「三光通商株式会社」から現在の商号へと変更されたことは容易に知り得たと思われるのに、被控訴人に商号変更届を提出させるなどして前記相互銀行取引契約の相手方の名義(商号)を変更する措置をとらなかつたこと、もつとも、前示のとおり、右添付書類の記載のうち、その申込人欄を見るかぎりは三光通商株式会社と三光建物株式会社とが単に同一系列の会社であるにすぎないことを印象付けられるにとどまるものではあつたとはいうものの、これを慎重かつ仔細に見分すれば真の借主が誰であるかにつき疑念をさしはさむ余地のあるものであつたのにもかかわらずすすんで右疑念を払拭するような措置も講じなかつたこと、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の事実によれば、控訴人としては銀行業を営む者として取引の相手方を間違えることのないよう細心の注意を払うべき注意義務があつたのにこれを怠り漫然と被控訴人を本件手形取引の相手方と誤信した点において過失があつたものというべきである。

しかしながら、以下に述べる事情を総合するならば、控訴人側における右過失はこれを重大な過失として非難することはできないものと解するのが相当である。

すなわち、前掲各証拠ならびに前示認定の諸事実を総合すれば、前記借入申込人欄等の記載の体裁自体からは、当初の融資の申込人が旧三光通商であると信じていた係員にとつて特別の説明でもないかぎり、新三光通商の新設と融資の申込に至る経緯を知ることは極めて困難であつたろうし、むしろ右係員の右誤信を助長させるようなものであつたといえること、右融資の話も結局は成立しなかつたから控訴人としてはそれ以後、被控訴人と新三光通商との異同ないし関係を知る機会がなかつたことと、右融資の申込は金額も多額であつて、基本契約としての前記相互銀行取引契約とは別個の新たな融資取引の性格が強かつたのに対し、本件手形取引は右基本契約の通常予想する日常的継続的銀行取引の範囲内に属するものであることが認められること、そして、右のように相互銀行取引契約に基づき日常継続的になされる手形貸付、手形割引などの銀行取引においては、取引の相手方に対し、前記のような商号、印鑑等の変更届の義務を課し、これを怠つた場合は相手方において一定の不利益を蒙るべきものとされてもやむを得ない面がある一方、単に商号の変更が商業登記簿によつて公示されており、取引の相手方たる銀行側においてこれを知る機会があつたからという理由だけで銀行がそれ以後全ての取引についてこれを知り又は知り得べきものであつたというのは銀行業務を営むものにとつて酷にすぎると解されるところ、なるほど、被控訴人は新三光通商と異る三光建物株式会社なる商号を登記により公示し、控訴人においてこれを知り得る機会があつたのであるが、被控訴人は右商号の変更の届出の義務を怠つているうえ旧三光通商の一営業部門の分離独立を目的としてなされた新三光通商の設立から旧三光通商の商号変更に至る一連の過程は極めて紛わしく、かつ誤信を招き易いばかりか、被控訴人においてはむしろこれを秘匿し、取引の相手方である控訴人側に営業主体につき錯誤の生ずることをむしろ期待した節さえ窺えることなどの諸事実に照らすと、控訴人としては銀行業務の過程において通常払われるべき注意義務のみをもつてしては本件手形取引の相手方についての誤信に容易に気付かなつたとしても誠にやむを得なかつたものというべく、したがつて控訴人において悪意と同様に取り扱わるべき重大な過失があるとまで断ずることは困難といわざるを得ない。

もつとも、この点につき被控訴人は右融資申込の際、前記田代忠五郎において控訴人大阪支店の係員に対し、右申込受付票等に記載された三光通商株式会社は旧三光通商とは別個独立の新三光通商であつて、旧三光通商は三光建物株式会社に商号が変更されその業態も変つたことなどについて具体的に説明し、その旨右係員の了解を得た旨主張し、<証拠>中にはこれに副う供述部分もあるが、右融資の申込が新三光通商の営業資金を得る目的でしかも再度の申込の際には担保の提供について土田精三の了解を得てなされたものであるにもかかわらず、敢て、業績が不良で格別これといつた資産もない新三光通商の設立の由来と業態を殊更に説明し、さらに借入申込受付票等の書類には控訴人に種々の疑念を招くような記載をし、控訴人側をしてとうてい右融資の申込には応じかねるような所為に及んでおきながら、右係員の了解を得たというのは誠に不可解であるうえ、前掲<証拠>に照らしてもとうてい措信し難く、他に右のような説明や了解のあつたこと、ひいては控訴人に重大な過失のあつたことを認めるに足りる証拠はない。

よつて被控訴人の右抗弁は採用しえない。

五以上によれば控訴人の本訴請求のうち被控訴人に対し貸付金合計金三六〇万円及びこれに対する各弁済期の後である昭和四八年五月二日(本件訴状送達の日の翌日)から完済に至るまで商法所定年六分の割合による遅延損害金の支払を求める貸付金請求は理由があるからこれを認容することとする。よつて、これと結論を異にする原判決はこれを取消し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九六条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(丸山武夫 山下薫 福田晧一)

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